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国特別史跡「加曽利貝塚」で縄文時代の体験と里山巡り ― 駅からハイキング

10月6日~8日の3連休、「千葉の宝物、国特別史跡に指定された『加曽利貝塚』を旅して、縄文時代の生活を体験」する駅からハイキングが開催されました。

 

(左)スタートの千葉都市モノレール千城台駅       (右)ゴールのJR都賀駅

台風24号、25号が相次いで列島を吹き抜けた後の快晴に恵まれ、各日それぞれ200人ほどのお客様がエントリーされたとのことです。歩行距離約7.5km、約4時間(施設見学を含む)のハイキングコースです。

(左)ハイキングコースマップ                 (右)加曽利貝塚見学コースマップ

「船着場」近辺

今回のハイキングコースは加曽利貝塚縄文遺跡公園の「船着場」に到着し、ここから公園内に入り一巡し、また「船着場」を出てJR都賀駅へ向かう設定になっています。
「船着場」は加曽利貝塚の東側低地を流れる坂月川の河畔にあり、縄文時代のムラビトが水路を通って東京湾で漁った魚介類を丸木舟で運び荷揚げした地点で言わばカソリムラの入口と推定されていて、今回のコースはなかなか味のある設定になっていると思いました。

 

加曽利貝塚見学コースマップに沿って、ハイキングのお客様とご一緒して“ウエブ上で”貝塚を造った太古の人々の生活の跡を一巡してみたいと思います。

 

§「船着場か」説明板
加曽利貝塚が海から6~7kmも内陸に入った場所に遺された不思議について、説明板の解説によりなるほど納得と言うところです。

(左)「船着場か」説明板を囲んで興味津々     (中)加曽利貝塚に到着してほっと一息 ここからゆるい登り坂を上って公園に入る     (右)園内一周ハイクを終え 帰路につく

§ 旧大須賀家住宅
昭和43年、幕張町にあった大須賀家住宅が千葉市に寄贈され、民俗資料として保存のためここに移築されました。
江戸時代、大須賀家は北町奉行配下の代官所に当てられ、「北の代官所」と呼ばれていたそうです。

 

前庭には縄文グルメ特設コーナー「縄文亭」の出店がありました。「縄文亭」では、想定される縄文時代の食材 ― 旬のものを利用する、千産千消 ― を活かした軽食が準備されていました。

(左)旧大須賀家住宅でひと時の休憩や昼食    (中)キッチンカー・縄文亭で軽食や飲み物をサービス    (右)お勧めメニュをご相談

加曽利貝塚博物館

縄文時代の貝塚は、日本全国で約2400か所確認されています。東京湾、古鬼怒湾、松島湾など、縄文時代に大規模な干潟が形成された地域に多く、関東地方で半数以上(1376か所:56%)、千葉県で3割近く(648か所:27%~市町村別で千葉市が最多)を占めていて、千葉県や千葉市はまさしく「貝塚のまち千葉」と言えます。

 

加曽利貝塚博物館は開館(1966年)から半世紀が過ぎ、我が国の貝塚研究や展示広報の中心的役割を果たしてきました。遂に2017年10月、日本の貝塚遺跡として初、千葉県内で初の特別史跡に指定されました。伴って、見学のお客様が大幅に増えてきています。

 

博物館では、明治、大正、昭和にかけて加曽利貝塚で発掘された多種多様な出土品を展示しています。昨今は″縄文ブーム″とも言われていますが、貝塚および縄文時代の不思議に接しそれを理解するのにとてもよい所になっています。また、お客様のご意向に合わせ適宜、積極的にボランティアガイドがガイド活動を行っています。

 

(左)縄文時代の年表や、縄文海進などについて解説   (中)縄文時代の食べ物などの展示付近   (右)アクセサリーなどの展示付近

§ 火おこし体験
博物館前庭では「火おこし体験」のコーナーが準備されていました。
縄文時代と同じく摩擦熱による火おこしの道具を用い、多くのお客様が滅多に経験する機会のない体験にトライされました。

(左)弓ギリ法の道具で、摩擦熱で火をおこす    (中)次は自分がトライ!    (右)火口が燃え上がる瞬間のちょっとした緊張感

ハイカーの多くのお客様が珍しい火おこし体験に参加されました

北貝塚

北貝塚は今から5000~4000年前の1000年にわたって造られた直径140mのドーナツを置いたような環状貝塚です。一方、南貝塚は4000~3000年前の1000年にわたって造られた長径190mの馬蹄形貝塚で、両方合わせると長径330mの珍しい8の字形の貝塚で日本最大級、世界でも有数の大きさの貝塚です。

 

§ 竪穴住居跡群観覧施設
環状貝塚の一部の貝層を掘り下げていき貝殻を取り除くと、底部の赤い地面(関東ローム層)から重なりあった住居跡が現れました。縄文中期(4800~4050年前)につくられた竪穴住居の跡で、発掘した当時のままを露出展示しています(1968年に公開)。縄文時代の主食とされるドングリなど堅果類の「貯蔵穴」も見られます。

(左)竪穴住居跡群のガイド   (中)住居跡の中央白い部分は炉の跡、正面の帯状に見えるのは貝塚の貝層   (右)竪穴住居生活のイメージ図

§ 北貝塚貝層断面観覧施設
環状貝塚の北西部の一部を深く掘り下げ、発掘した当時のままの″切通し″状の貝層断面を露出展示しています(1968年に公開)。

(左)観覧施設入口のお客様   (中)″切通し″の分厚い貝層を見てビックリです   (右)使われなくなった「貯蔵穴」に捨てられた貝殻

南貝塚

北貝塚より1000年ほど新しく(北貝塚は5000~4000年前の1000年間、南貝塚は4000~3000年前の1000年間で)造られたものです。
驚くべきことに、加曽利貝塚は2000年間にわたって縄文の人々が暮らしていた生活の跡と言えます。

 

§ 南貝塚貝層断面観覧施設
馬蹄形貝塚がトレンチ方式で発掘され、南北方向に貫通してできた長さ30mの″貝塚廊下″を剥ぎ取り式転写法で展示しています(1994年に公開)。

(左)観覧施設入口付近   (中)ドイツ出身女性と二人連れのハイカーに貝塚の解説   (右)貝層のハマグリ―北貝塚より大きい―などの貝のほかに、イノシシ・シカの骨、土器の破片も見られる

§ 復元集落
発掘された竪穴住居跡の柱跡や炉跡をその場所でそのまま再現し、柱を立て屋根を葺き数棟の竪穴住居が復元されています。
各種イベントの折りに炉に火を燃やし、中に入ってみると、不思議なことに一気に縄文時代にワープします。最も人気のある写真スポットです。

(左)仲良し2人連れのハイカー   (中)旅の思い出にかそりガイドと記念撮影   (右)8日(月)「縄文暮らし体験」の日に解説する学芸員

公園内のいろいろな場所で多くのお客様と出会いました

★千葉県内をはじめ、東京、埼玉、茨城など近県から大勢のお客様をお迎えしました。
高校時代に加曽利貝塚遺跡保存運動の署名活動をした方、熟年ご夫婦や婦人グループ、お子様連れのご家族、外国人、1人参加の男女などお互いにいろいろな人々との出会いを楽しみ、直ぐに打ち解けて、縄文時代から続く景観が今も残る加曽利貝塚縄文遺跡公園はフレンドリーな空気に包まれた3日間でした。

 

(以上)

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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