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中学生がつくるページ

縄文時代はどのような環境で生活していたのか

~貝化石の分類という視点から~

貝塚発掘隊について

千葉市立貝塚中学校では、学校名の由来となった加曽利貝塚について、理科的な視点から調べたいと思った人たちが学年を超えて集まり、この研究を行うことになった。

加曽利貝塚には、縄文時代の史跡が多く残っている。そこで私たちはまず「縄文時代」に注目をした。そこで思い浮かんだ七つの疑問について、私たちの一人一人がそれぞれのテーマの研究を進め、それぞれの研究をまとめることによって、縄文時代の暮らしに迫っていった。
制作担当生徒:貝塚中学校 三橋さん

このページを作成した理由

 今年、千葉市は加曽利貝塚を国特別史跡の指定を受ける準備をしている。また、朝日新聞には「加曽利再考(2013.7.31~8.5)」という記事が連載されるなど、身近なところで加曽利貝塚が話題になる機会が多かった。
 そこで、実際に加曽利貝塚内にある「加曽利貝塚博物館」に行ってみたところ、そこには縄文時代に加曽利に住んでいた人々の暮らしが紹介されていた。また、博物館内に展示されていた貝化石に興味を持ったので、自分でも調べてみたいと思った。
 貝化石からわかることを通じて、この地の環境や人々の暮らしについて確かめてみたいと思った。

研究の内容

文献等による調査

 a、貝化石の採取場所について
 身近な場所で、貝化石が採取できるところを学校で先生に質問したところ、「瀬又の貝層」を紹介された。

b、瀬又の貝層について
・市原市瀬又から高倉にかけての村田川流域は「瀬又の貝層」と呼ばれる地学的に貴重な化石産地で、新生第四期更新世の化石が産出される。
・トウキョウホタテやミルクイなどの大型の貝化石とともに、エゾタマキガ イやバカガイなど寒流の影響を受けた貝化石が多産する。また、腕足類、珊瑚、鮫の歯なども出土する。
・生息する水深が様々であることから当時の海水面の変動は激しかった。
・約45万年前~12万年前、つまり、縄文時代の少し前、この地域が古東京湾という内海だった頃に堆積した地層である。
・「瀬又の貝層」は下総層群と呼ばれる地層の中の「藪層」に含まれている。
・瀬又層には、厚さ約10mにわたって貝化石が密集していて、貝化石群が垂直に変化していることが知られている。

c、貝化石の分類について
文献で貝化石について、大きさのはかり方や部分の名称、見分け方などを
調べ、分類する。

貝化石の採取

 a、目的
採取した貝化石から、当時の環境を知る。

b、方法
貝化石を貝層から採取する。          
(用いた道具)
根掘り・ハンマー・スコップ・バケツ・軍手        
(服装)
帽子・長袖のシャツ・軍手・長ズボン・スニーカー
砂でできた山に這いつくばるようにして登った。
砂の中からやさしくかきだすようにして、掘り出した。
・砂や汚れを歯ブラシ、爪楊枝等を用いて取り除く。

c、予想
加曽利貝塚からはイボキサゴの殻が多く産出したので、瀬又の貝層でも巻貝が多いのではないだろうか。

d、結果
二枚貝が231個、巻き貝が16個採取できた。

e、考察
多数の種類の貝化石を採取することができた。
二枚貝が巻き貝より圧倒的に多く採取できた。
二枚貝は多数の種類が採取できた。
同一現生種の生態を調べると、住んでいた緯度や深度がたいへん幅広い。
 緯度
 二枚貝 10-70度 巻貝 23-51度
 *現生種が日本列島の太平洋側に生息する緯度の(北緯)の範囲
 深度
 二枚貝 潮間帯~(低潮線から)20-250m
 巻貝  潮間帯~(低潮線から)20-250m
 *現生種が生息する、海底の深さ

f、結論
瀬又の貝層には多様な種類の貝が住んでいた。さらに、貝層ができやすい場所だった。
採取した貝化石が住んでいた時代は、瀬又の貝層は今よりも寒かったのだろう。また、海水の対流が激しい海だったのだろう。

g、生じた疑問
二枚貝が多かったということは、当時の環境が二枚貝にとって住みやすい条件がそろっていたからだろうか。

このページを作った感想

ホームページに載せることで、たくさんの方たちに見てもらえるようになったので、とても嬉しかったです。
はじめての経験だったので、慣れなかったり、間違ったりすることもありましたが、無事載せられることができてよかったです。